2021年は文字を書くことと縁のある年になりそうだ。この半年間どんなお話を綴ることが出来るのか全くの未知数だが、私自身楽しみとして向き合いたいと思っている。新聞を読むことは日常の習慣の方もいるだろうし、暫しの休憩のお供でもあるかもしれない。
私自身が新聞と聞いて記憶に新しいのは、沖縄県立博物館・美術館で美術品調査嘱託員をしていた頃だ。様々な業務の中に沖縄県内・県外のアートシーンや作家の記事、美術にまつわるあれこれをくまなく探してコピーをし切り取り日付をつけてスクラップをする仕事があった。記事をスキャニングしてデータ化することも並行して行う。毎日の時もあれば2、3週間分をまとめて行う時もあった。
美術館には開館前から積み上げられてきた美術にまつわるあれこれがひっそりと蓄積されている。今はもう数十回以上の開催を数える県内公募展の始まりの頃の様子。沖縄の美術を語る上で外せない今は亡き作家たちの当時の活躍。ある作家の企画展準備のため、県立図書館に赴いた際には分厚い冊子にまとめられた新聞の総監を引っ張り出しては、その作家にまつわる記事がないかはじからはじまでみて周った。そこで見つけた記事をひとつひとつデータ化しアーカイブしていく。作家のインタビューや一言などが載っていたら一層大切な証言として記録されていく。
どの分野にも歴史があり調査研究されているが、美術も同じだ。こんな立派な果物が穫れました。お味見ください。という記事と同じくこんな作品が出来ました。見に来て下さい。という記事がある。
毎日の天候を見て土を耕し、太陽、水あらゆる自然の要素が集結した果実を的確な時に収穫する人もいれば、日々アンテナを巡らし感受したものからメッセージを発すべく作品を作っている作家がいる。食べて美味しく力になる。のと、見て何かを感じて、または感じなくてもどちらも同じく大事な感覚であり、自分を見つめる時間を持てたり、何かを考えさせられる時間を持つことができるかもしれない。それは日々を過ごす中で大切な心の力になるだろう。どちらも同じように必要とされこの世界にあるのだ。
提供:琉球新報