text連載「落ち穂」

2021.05.29『10年』

沖縄の生活の中でたくさんの出会いがあったが、イギリスへの交換留学のため大学院を休学し、1年後沖縄県芸に復学したときのことは印象深い。

ある日、旧友2人それぞれから、その日開催されたあるライブへ行くようにという連絡を受け、訪れたそのライブで私は私自身が沖縄に新たに入り直したことを表すような大切な人々と出会うこととなった。その中で知り合った金細工またよしの又吉さんからは大学の卒業式の日に身につけるようにと房指輪を作らせていただくことになり、しばらく工房に通わさせて頂いた。一枚一枚込められた意味を伺いながら自らの手で作った房指輪は一生の宝物だ。

首里の工房から縁はあれよあれよと続き、その当時の私にとって美術を生活の中で体現し、私が絵を描くことで見つけようとしていたことを日常で話しているような人々との出会いは、私の中で不確定だった感覚が研ぎ澄まされ新しい自分を知るようなものであった。そして海の中の洞窟やただただ美しい凪いだ海、沖縄の自然を目の当たりにすることもまた作品においても大きな変化をもたらした。私が移り住んだ頃の沖縄市にはまだミュージックタウンは無く、一番街の空き店舗をアーティストのアトリエにリノベーションする動きがあったりパークアベニュー界隈に個性的な小さなお店が点在し独特の雰囲気があり散歩がてら一つ一つ訪れるのが好きだった。自活生活の始まりと共に私の中部生活はがちゃがちゃと進んで行ったのである。今年は東北大震災から10年目を迎えるが、震災直後、仙台から妹親子が避難のため沖縄市の我が家にしばらく滞在したことも思い出深い。その当時私が沖縄に住んでいることが家族の役に立てるということを複雑な思いで受け取っていた。震災がきっかけで沖縄に留まり、美術に関わる仕事に就いたことは私にとって大きな転換期であった。10年のうちに新しい家族が増え子育てをしながら制作するという形が見えはじめ、何よりも子どもの笑顔が大切であり、美術が暮らしとともにあることが生活に広がりを持たせてくれるということは大きな学びであったと思う。

提供:琉球新報