text連載「落ち穂」

2021.04.23『つむぐ』

いつでも物事は、思いもよらないところから湧いてくる様に思う。

沖縄県芸術文化祭の広報用のショートムービーを作る為、インタビューさせてくれませんかというお電話をいただいた。日程の都合で、電話を頂いたその日のうちに事務所に伺い、夕方にはアトリエに来てもらい作品に使う小道具として筆や絵具をお貸しした。映像の限られた時間のなかでいかにメッセージを届けるか。あれこれ思案されている様だった。いろんな質問があったが「今まで活動を続けてきて一番大変だったこと、辛かったことはなんですか?」という問いに私は「仕事をしながら制作を続けている私の生活を周りからなかなか理解されなかったこと」と答えた。美大を出てから無名でありながら仕事をし美術活動を続けることは金銭的にも肉体的にも体力がいることだ。だがなぜ続けるのだろう。結果を出すために決められた時間軸の中、日々の生活を営んでいるとするならば、制作をするというのは結果の見えない自分の時間を内側から紡ぎ出しているかのようである。その時間のなかで自己というものが再生するのかもしれない。何に価値を置くかはその人々それぞれであるが、どんなに時間がなくても絵を描く時間、その空間に身を置くことが、ある時は避難場所になり、またある時は自分を鼓舞する場所にもなったこと、いろんな機会や人々に支えられながらいまに至っていることを回想した。

人は皆、生きるなかでそれぞれの問題や悩みにぶつかることがあると思う。そうでなくとも日々の暮らしの中で暫しの休息を求める時もあるだろう。コロナ禍になりオンラインでのやりとりや人との距離を取らなければならない状態で、リアリティの感じ方が大きく変わり始めている。何気ない散歩や食事、人とオンラインのような非対面であれ対面であれ会話をする機会のそれぞれの新鮮さを改めて感じる。変化の多い日常であるが自分の内側から紡ぐ再生の時間を見つける眼差しを忘れないでいきたい。

提供:琉球新報